Carmen Maki : カルメン・マキ

カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace、1951年5月18日 – )は、歌手、ロックミュージシャンである。

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1969年に「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」と言う批判の声があったものの、累計でミリオンセラーの大ヒット。この曲で第20回NHK紅白歌合戦への出場も果たす。

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これ以降も個性派歌手として活動し、6枚のシングルと3枚のアルバムをリリースする。前述の「時には母のない子のように」の他にも「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」のヒット曲がある。

1970年に突然のロック転向を表明する。直後近田春夫(のちにハルヲフォンを結成)、立川直樹らと「カルメン・マキ&タイムマシーン」と言うバンドを結成するが、すぐに解散。その後さまざまなバンドがバッキングについたが、最終的には当時の実力派バンドであった、ギタリスト竹田和夫率いるブルース・クリエイション(第2期)に落ち着き、1971年にコラボレーション・アルバムである『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を発表。それまで黒人霊歌をもとにしたフォークなどを歌うシンガーから、女性ロッカーへとイメージ・チェンジをした。
1972年には当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成。メンバーは、春日博文(ギター)、鳴瀬喜博(ベース、後にカシオペア加入)、樋口晶之(ドラムス、元竜童組)。翌1975年1月にはファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。10万枚以上を売る当時のロックアルバムとしては大ヒットとなった。このアルバムに収録されている約12分にも及ぶ大作「私は風」は、のちにさまざまな歌手、ミュージシャンにカバーされ、その中でも特に中森明菜のものが有名である。

1976年にアメリカ合衆国のロサンゼルスでセカンド『閉ざされた町』を4か月かけて制作。ファーストに引き続き「閉ざされた町」や「火の鳥」といった大作路線を継承しながらも風格を漂わせたものに仕上がっている。「閉ざされた町」でドラムを担当したのは久藤賀一。

Carmen Maki / カルメン・マキのアルバム

カルメン・マキ真夜中詩集ーろうそくの消えるまでー(1969年 CBSソニー)
アダムとイヴ(1970年 CBSソニー)
思い出にサヨナラ “カルメン・マキ’70”(1970年 CBSソニー)
カルメン・マキ/ブルース・クリエイション(1971年 コロムビア デノン)
カルメン・マキ&OZ(1975年 ポリドール)
閉ざされた町(1976年 キティ)
カルメン・マキ&OZ 3(1977年 キティ)
・カルメン・マキ&OZ LIVE(1978年 キティ)
・NIGHT STALKER(1979年 キティ)
・カルメン・マキ&LAFF(1980年 キティ)
・HUMAN TARGET(1982年 東芝EMI)
・LIVE X(1982年 東芝EMI)
・CARMEN MAKI’S 5X(1983年 東芝EMI)
・MOON SONGS(1993年 東芝EMI)
・VOICE OF MOSES(1995年 ビデオアーツミュージック)
・UNISON(1996年 パイオニアLDC)
・SPLIT(1998年 パイオニアLDC)
・CALMEN MAKI LIVE 世紀末を歌う(2001年 VAP)
・CARMEN MAKI AND SALAMANDRE(2003年)
・ANOTHER WAY(2004年)
・時には母のない子のように2007(2007年 SOLID)
・白い月(2008年 アイ文庫)
・ペルソナ(2009年 ジパングレーベル)
・FROM THE BOTTOM(2012年 ジパングレーベル)

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